初めて能を観る時、言葉がよく分からないということがあります。一、二度聞けばああそういうことかと分かることが多くなるのですが、能の言葉も日本語と思えば少し古いだけですぐに分かるようになります。江戸時代に徳川家康は猿楽の能を幕府の式楽にして、参勤交代で集まった全国の大名に毎年一月初めに謡初めをする他、将軍宣下、位階昇進、勅使饗応の度毎の主要な行事には猿楽の能を催し、20万石以上の大大名には能に親しむことを勧めた。これにより大大名の上級武士に能が普及し、能に使われる言葉が武家の標準語になり、大名、上級武士から地方毎の方言や御国訛りが減少した。
船弁慶台本
観世信光 作
観世信光は1450(宝徳2)年~1516(永正13)年の人で、観世座の囃子方・大鼓を本業とし太鼓方も務め、能作者としても勝れ30番以上に及び、現行曲も15番以上残り、劇的展開の多様性を特色とするものが多い。
本台本は新潮日本古典集成 謡曲集 伊藤正義 校注より台本部分のみを取り出して再構成したもので、著作権などは無く、同様の台本は明治以降多くの類本が出版され、近年では欧米の文化施設(主として図書館等)で日本語、各国語の翻訳がWebでみられる。但し、現在書店で販売されている和本様綴本の多くは昭和期に各宗派での宋家等が伝統的な奏法を考慮し、場合により訂正や修正、更には書体、参考画も新しくするなどして作成し、コピーを控えるよう求めているので注意を要します。
〔次第〕 ワキ・ワキ連 「けふ思ひたつ旅衣 今日思ひ立つ旅衣 きらくをいつと定めん」
「名ノリ」 ワキ 「かやうに候ふ者は 西塔の傍に住まひする武蔵坊弁慶にて候 さてもわが君判官殿は 頼朝のおん代官として平家を滅ぼし給ひ 御兄弟のおん仲日月のごとくござ候ふべきに 言ひかひなき者の讒言により おん仲違はれ候ふこと 返すがへすも口惜しき次第にて候 しかれどもわが君親兄の礼を重んじ給ひ ひとまづ都をおん開きあって 西国の方へおん下向あり おん誤りなき通りおん歎きあるべきために 今日夜をこめ淀よりおん舟に召され 津の国尼が崎大物の浦へと急ぎ候」
〔サシ〕 ワキ「頃は文治の初めつ方 頼朝義経不会のよし すでに落居し力なく」子方 「判官都をおちこちの 道狭くならぬその前に。西国の方へと心ざし」 「ワキ・ワキ連 「まだ夜深くも雲居の月 出づるも惜しき都の名残 一年平家追討の 都出でには引き替へて ただ十余人すごすごと さも疎からぬともぶねの」
「下ゲ歌」 ワキ・ワキ連「上り下るや雲水の 身は定めなき慣らひかな」
「上ゲ歌」 ワキ・ワキ連「世の中の 人はなにともいはしみづ 人はなにとも石清水 澄み濁るをば 神ぞ知るらんと 高き御影を伏し拝み行けば程なく旅心 うしほも波もともに引く 大物の裏に着きにけり 大物の浦に着きにけり」
「着キゼリフ」 ワキ「おん急ぎ候ふほどに これははや大物の浦におん着きにて候 それがし存じの者の候ふ間 おん宿のことを申し付けうずるにて候」
「問答」 ワキ「いかにこの屋の主のわたり候ふか」 アイ「たれにておん入り候ふぞ」
ワキ「いや武蔵にて候」 アイ「さて只今は何のためのおん出でにて候ふぞ」 ワキ「さん候わが君をこれまでおん供申して候 御宿を申し候へ」 アイ「畏って候 さらば奥の間へござ候 御用心の事はおん心安く思しめされ候へ」
「問答」 ワキ「いかにわが君へ申し上げ候 恐れ多き申しごとにて候へども まさしく静はおん供と見え申して候 今の折節何とやらん似合っはぬやうにござ候へば あっぱれこれよりおん返しあれかしと存じ候」 子方「ともかくも弁慶計らい候へ」 ワキ「畏つて候」
「問答」「いかにこの屋の内に静のおん入り候ふか 君よりのおん使いに武蔵が参りて候」 シテ「武蔵殿とはあら思い寄らずや何のためのおん使いにて候ふぞ」 ワキ「さん候只今参ること余の儀にあらず わが君の御諚には これまでのおん参り返すがえすも神妙に候さりながら 只今は似合わぬやうに候へば これよりおん帰りあれとのおん事にて候」
シテ「これは思ひも寄らぬ仰せかな いづくまでもおん供とこそ思ひしに」「頼みても頼みなきは人の心なり あらなにともなや候」 ワキ「さておん返事をばなにと申し候ふべきぞ」
シテ「みづからおん供申し 君のおん大事になり候はば留まり候ふべし」 ワキ「あら事々しや候ただおん留まりあるが肝要にて候」
シテ「よくよく物を案ずるに これは武藏殿のおん計らひと思ひ候ふほどに わらは参り直におん返事を申し候ふべし」 ワキ「それはともかくもおん計らひにて候 さらばおん参り候へ」
「問答」 ワキ「いかに申し上げ候 静のおん参りにて候」 子方「いかに静 このたび思はずも落人となり落ち下るところに これまで遥々来たる心ざし 返すがへすも神妙なりさりながら 遥々の波濤を凌ぎ下らんこと然るべからず まづこのたびは都に上り時節を待ち候へ」 シテ「さてはまことにわが君の御諚にて候ふぞや よしなき武蔵殿を恨み申しつることの恥づかしさよ」「返すがへすも面目無うこそ候へ」 ワキ「いやいやこれは苦しからず ただ人口を思しめすなり」 「おん心変るとな思しめしそと 涙を流し申しけり」 シテ「いやとにかくに数ならぬ 身には恨みもなけれども これは舟路の門出なるに」
〔上ゲ歌〕地 「波風も しづかを留め給ふかと 静を留め給ふかと涙を流しいふしでの 神かけて変らじと 契りし事も定めなや げにや別れより 勝りて惜しきい命かな 君にふたたび 逢はんとぞ思ふ行く末」
「問答」 子方「いかに弁慶 静に酒を勧め候へ」 ワキ「畏まって候」
〔掛け合〕 ワキ「げにげにこれはおん門出での 行く末千代ぞときくの盃」 「静かにこそは勧めけれ」 シテ 「わらはも君のおん別れ 遣る方なさにかき昏れて 涙にむせぶばかりなり」 ワキ「いやいやこれは苦しからぬ 旅の船路の門出の和歌」「ただひとさしと勧むれば」 シテ 「その時静は立ち上がり 時の調子を取りあえず」
〔詠〕シテ「渡囗の郵船は 風静まって出づ」地 「波頭の謫所は 晴れて見ゆ」〔問答」ワキ「これに烏帽子の候召され候へ」
【物着アシライ】
〔(一セイ)〕シテ 「立ち舞ふべくもあらぬ身の 地 へ 袖うち振るも 恥づかしや」
【イロエ】
〔サシ〕シテ 「伝へ聞く陶朱公は勾践を伴ひ 地 へ 会稽山に籠り居て 種々の智略を廻らし 終に呉王を滅ぼして 勾践の本意を達すとかや」
〔クセ〕地 「しかるに勾践は ふたたび世を取り 会稽の恥を雪ぎしも 陶朱こうをなすとかや されば越の臣下にて 政事を身にまかせ 功名富み貴く 心のごとくなるべきを 功成り名遂げて身退くは 天の道と心得て 小船に掉さして 五湖の煙濤を楽しむ」
シテ「かかる例も有明の」 地「月の都をふり捨てて 西海の波濤に赴き おん身の科のなきよしを 歎き給はば頼朝も 終には靡く青柳の 枝を連らぬるおん契り などかは朽ちし果つべき」
〔(ワカ」〕 地 「 ただ頼め」
【中ノ舞】
〔(ワカ)〕シテ 「ただ頼め 標芽原のさしも草 地「われ世の中にあらん限りは」
〔ノリ地〕シテ 「 かく尊詠の 偽るなくは」 地「かく尊詠の 偽るなくは やがて おん代に いでぶねの」
〔上ゲ歌〕 地 「 舟子ども はや艫綱をとくとくと はや艫綱を疾く疾くと 勤め申せば判官も 旅の宿りを出で給へば」 シテ 「 静は泣く泣く」
地 「烏帽子直垂脱ぎ捨てて 涙にむせぶおん別れ 見る目もあはれなりけり」
〔(シャベリ)〕 アイ「さてもさてもあはれなることかな 只今静の君におん名残を惜しみ給ふ体を 物の隙より見申し そぞろに涙を流し申して候 また静はいづくまでも御供と思しめさるるところに しかれども遙々の波濤を 凌ぎ伴なはれんこと 人口然るべからずとの御事 御尤もなる御事にて候 互の御心中察し申し そぞろに涙を流し申して候 また世上に存ずるは 平家を滅ぼし給ふ上は 御兄弟御仲 日月のごとくござあるべきと存ずるところに 御仲違はせ給ひ かやうに御下向なさるるは 不思議なるとの申し事にて候 さりながら 御同一体の御事なれば 追付け御仲直りあらうは 疑ひもなき御事にて候 やあ よしない独り言を申した 最前武蔵殿の 御座舟の事を仰せ付けられた いかにも足の早き舟を用意仕って候 このよし申さう」
【問答】 アイ「いかに武蔵殿へ申し候 只今静の 君に御名残を惜しみ給ふ体を 物の隙より見申し われらごときの者までもそぞろに落涙仕りて候ふが 武蔵殿は何と思しめされ候ふぞ」 ワキ「かたがたの申さるるごとく 互の御心中察し申し 武蔵も落涙仕りて候 それにつき最前申したる御座舟は用意いたされて候ふか」 アイ「なかなか足の早き舟を 御座舟にこしらへ用意仕って候ふ間 いつなりとも御用次第 出だし申さうずるにて候」 ワキ「さあらばやがて出だして給はり候ヘ」 アイ「畏つて候」
ワキ「静の御心中察し申して候 やがてお舟を出ださうずるにて候」
「問答」 ワキ連「いかに申し候」 ワキ「何事にて候ふぞ」 ワキ連「君よりの御諚には 今日は波風荒く候ふほどに 御逗留と仰せ出だされて候」 ワキ「なにと御逗留と候ふや」 ワキ連「さん候」 ワキ「これは推量申すに 静に名残をおん惜しみあって御逗留と存じ候 まづ御思案あって御覧候へ 今このおん身にてかやうのことは 御運も尽きたると存じ候 その上一年渡辺福島を出でし時 以つての外の大風なりしに 君おん舟を出だし 平家を滅ぼし紿ひしこと 今もって同じことぞかし 急ぎお舟を出だすべし」 ワキ連 「げにげにこれは理りなり」「いづくも敵といふなみの」 ワキ 「立ち騒ぎつつ舟子ども」
{一セイ} 地「えいやえいやといふしほに 連れて舟をぞ出だしける」
「問答」 アイ「皆々お舟に召され候ヘ」
アイ「いかに武蔵殿へ申し候 君の御舟出に 一段の天気にて候 御仕合はせも見え申して候」 ワキ「なかなか一段の日和にて われらも満足に存じ候」 アイ「それにつき 武蔵殿へすこし訴訟申したき事がござあるが なにとござらうぞ」 ワキ「それは何事にて候ふぞ」 アイ「別の事にてもござないが 只今こそ かように御仲違わせ給い 西国の方へ御下向なさるるとも 追付け御仲直りあらうずるは 疑いもなき事にて候 その時は西国の船司を われら一人に仰せ付けらるるやうに 武蔵殿の御取り合はせを頼み候」 ワキ「これは御身に似合いたる事にて候ふ間 それがしの御取り合はせ申さうずるにて候」 アイ「いや武蔵殿さへさやうに仰せらるれば われらの訴訟はざっとすんだものぢゃ 必ず必ず御代に出でさせられた時に 御失念なきやう頼みまするぞ 皆々只今 武蔵殿の仰せを聞いて 御座舟に精を出だし候」 「えいえい これはいかなこと あの武庫山の上へ 悪い雲が出たが 必ずあの雲が出ると 事をするが はあ心得ない事ぢゃ」 ワキ「なにとやらん雲の気色が変はりて候ふよ」 アイ「いやいやすこしも御気遣ひあるまじく候 この舟には究竟の水夫どもを選って乗せ申し その上それがし轍取り仕る上は すこしも御気遣ひあるまじく候 えいえい さればこそ 雲の気色が変はつた 波が荒うなったぞ 皆々精を出だし候へ えいえい」 「ありゃありゃ 波が来るは 波よ波よ波よ こせこせこせこせ しい ぇいく またありゃ波よ波よ波よ こせこせこせこせ しい」
「えいえい またありや波よ波よ波よ こせこせこせこせ しい えいえい」
〔問答〕 ワキ「あら笑止や風が変はって候 あの武庫山颪譲葉が岳より吹き下ろす嵐に このおん舟の陸地に着くべきやうもなし 皆々心中にご祈念候へ」 ワキ連「いかに武蔵殿 このおん舟にはあやかしが憑いて候」 ワキ「ああ暫く さやうのことをば船中にては申さぬことにて候」 アイ「ああそなたは 近頃聊爾な事をおしゃる 最前乗りゃる時から 何ぞ一言おしゃりさうな人ぢゃと思うたが 案のごとくむさとした事をおしゃる 船中でそのやうな事は言はぬものでおぢゃる そなたのやうな人は 舟底へ押し下かつていやれ」ワキ「船中不案内の事にて候ふ間 何事も武蔵に免じて給はり候ヘ」 アイ「武蔵殿のさやうに仰せらるれば 料簡もござらぬが なかなかでもない事かな さればこそまたありゃありゃ 波よ波よ波よ こせこせこせこせ しい えいえい」
ワキ「 あら不思議や海上を見れば 西国にて滅びし平家の一門 おのおの浮かみ出でたるぞや かかる「時節を窺ひて 恨みをなすも迸りなり」
「問答」 子方「いかに弁慶」 ワキ「おん前に候」 子方「今さら驚くべからず たとひ悪霊恨みをなすとも そも何事のあるべきぞ」
〔(クリ)〕】子方「 悪逆無道のその積もり 神明仏陀の冥感に背き 天龠に沈みし平氏の一類」
〔歌〕地 「 主上を始め奉り 一門の月卿うんかのごとく 波に浮かみて見えたるぞや 」
[名ノリグリ] シテ「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤 平の知盛幽霊なり」
シテ「あら珍らしやいかに義経 思ひも寄らぬ浦波の」
〔ノリ地〕 地「 声をしるべに いでぶねの 声をしるべに 出舟の」
シテ 「とももりが沈みし その有様に」 地 「 また義経をも 海に沈めんと」シテ 「いふなみに浮かめる 長刀取り直し」 地「 巴波の紋 あたりを払ひ潮を蹴立て 悪風を吹き掛け 眼もくらみ 心も乱れて 前後を忘ずる ばかりなり」
【舞働】
〔ノリ地〕 子方「 その時義経 すこしも騒がず」 地「その時義経 すこしも騒がず 打ち物抜き持ち うつつの人に 向かふがごとく 言葉を交はし 戦ひ給へば 弁慶押し隔て 打ち物業にて 叶ふまじと 数珠さらさらと 押し揉んで 東方降三世 南方軍旺利夜叉 西方大威徳 北方金剛 夜叉明王 中央大聖 不動明王の索にかけて 祈り祈られ 悪霊次第に 遠ざかれば 弁慶舟子に力を合はせ お舟を漕ぎ退け 汀に寄すれば なほ怨霊は 慕い来るを追っ払ひ祈り退け また引く潮に 揺られ流れて 跡しらなみとぞ なりにける」
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