◎今回、初めて能・狂言を観る人を対象に能「船弁慶」について説明いたします。

◎能「船弁慶」について  
 戦後の日本において「船弁慶」は、「羽衣」、「葵上あおいのうえ」等に並んで、上演回数が多い5演目に入っている能です。 演目の分類では、1日の5番立て順序で素人は 神しん・男なん・女にょ・狂きょう・鬼の最後の鬼(切能)に属します。
 ちなみに 神 は「高砂」に代表されるように神が出現する祝い・福をテーマにした能で初番目物、脇能、神能とも言います。
 男 は「八島」「清経」等源平の武将の幽霊をシテとする能で二番目物、修羅物とも言います。
 女 は伊勢物語、源氏物語や民話等の優美な女性、草木の精等をシテとする能で「井筒」「杜若」などがあり、三番目物、鬘物かずらものとも言います。
 狂 は他の四類に属さない能の一群で、子に別れた母の物狂いの「隅田川」や「安宅」のような現代物、「邯鄲かんたん」等中国の教養民話等が含まれ、四番目物、雑物とも言います。
 鬼 は鬼、畜類、天狗等想像の生き物をシテとする能で「土蜘蛛つちぐも」「猩々しょうじょう」等があり、又「「石橋しゃっきょう」のような祝言能しゅうげんのうも含まれます。

◎「船弁慶」のあらすじはチラシの裏側に書いてありますので、一読されていることを前提に説明いたします。 「船弁慶」も多くの能と同じように二場構成で、前半と後半に別れていて、前場まえばの主役(前まえシテ)は静しずかで後場のちばの主役(後のちシテ)は平知盛とももりの怨霊おんりょうです。前シテと後シテとを同一の演者が扮装を替えて演じることが多いが、今回の舞台では前シテを大槻文蔵師、後シテを大槻祐一師が演じられる

◎前シテの静の扮装は、面が若女わかおんな、深井ふかい、小面こおもて、他に孫次郎まごじろう、増女ぞうおんな等が候補に挙げられるが、シテの思惑や当時静の年齢(推定19歳)や当時の若い女性の境遇、流派の代表面からみると若女が使われる可能性が大きい。鬘をつけ鬘帯は金箔地に刺繍を施し紅色の入った胴箔どうはくを用いる。襟は白・赤かまたは白二段です。着附けは白地の平絹に金や銀で連続模様を摺り出した袷の小袖に更に赤色ありの唐織を着る。

◎持ち物は緀せい(扇紙の端)の赤い色入り鬘扇を持つ。又物着ものぎの小段には白拍子の舞に必要な静烏帽子しずかえぼしをつける。

◎後シテの平知盛怨霊の扮装では面が怪士あやかし、三日月みかづき、鷹たか、邯鄲かんたん男、阿波男等が用いられる。怪士は海上に現れる妖怪でこれが船に取り付くとその船は難破すると言われている。怪士の面は知盛をモデルとして作られたと思われ、位の高い公家の武将らしく、額の上に冠形が描かれ眉は先を跳ね上げ上唇の髭は立派な八の字形に罫書され、歯は上下ともお歯黒はぐろが塗られている。目はひし形に鋭く見開き黒目の部分には金環もしくは金泥塗り、白目部分には朱が塗られて妖怪であることを示している。但し鬼能に使う面と言っても角は生えていない。三日月、鷹も怪士によく似ているがやや高貴性がない感じがする。邯鄲男は中国の故事・邯鄲夢枕に登場する人生に愁いを持つ男性を表現した面で、能「邯鄲」以外に脇能の神によく用いられる。阿波男も邯鄲男に類似の面であるがより人間的な神の風格を持つ面である。但し、名前の阿波男が何を意味するのか、なぜ阿波と名付けられたのか分からない。淡い男という説もある。天皇の践祚せんその際に阿波の国から麁栲あらたえが納められ、それを届ける阿波の男を神の使いと見なしたのかと考えるがいかがなものであろうか?。

◎面には角が無いが、頭に黒頭というウシ科の動物・ヤクの毛を黒く染めた鬘と大きな鍬形の金具を附けその上から黒地の金緞鉢巻で固定する。服装の襟は白もしくは縹はなだ色、紅入り厚板あついた又は無紅唐織に半切はんぎり袴に法被又は裳着胴もぎどうをつける等複数のパターンがあります。厚板は板のように厚い生地で作られた袷の小袖をいう。裳着胴は上半身が着付けだけで上着を用いない状態の総称です。男では厚板又は白練りの着付に大口おおくち袴(後ろが左右に広がった白無地袴)又は半切はんぎり(大口に似るが派手な模様の袴)を用いる。女では摺箔すりはく(白地の絹物に金銀で模様を摺り出した袷の小袖)の着付に縫箔ぬいはく(刷箔の腰から下の部分に色糸で模様を刺繍した小袖を袖に腕を通さず後ろに垂らす)を腰巻状にする。

◎持ち物は腰に太刀を、手には長刀を持つ。

◎平知盛は清盛の四男で、治承4(1180)年挙兵した源頼政を宇治の戦いで破り、従二位権中納言になる。寿永2(1183)年木曽義仲に敗れ、西国に逃れる。寿永3(1184)年一の谷の合戦で義経に敗れ、更に文治元(1185)年屋島の戦いにも敗れ、同年長門壇之浦でも大敗し、入水して果てる。享年34歳。

◎子方は義経役を演じます。義経が出る能は「橋弁慶」、「鞍馬天狗」、「烏帽子折えぼしおり」、「安宅あたか」、「屋島」、「接待せったい」、「正尊しょうぞん」の7曲ありますが、成人になる前の牛若丸の「橋弁慶」、「鞍馬天狗」、「烏帽子折」はいずれも子方で問題無しですが平家を打ち破った後の判官義経は年齢も28歳を過ぎているのに「船弁慶」、「安宅」はいずれも子方で「接待」と「正尊」はセリフがわずかなツレ役で、、シテ役は「屋島」のみです。成人の役であるにも関わらず子方を用いるのは貴人の品位の表現、シテ中心の表現等とされている。義経は戦術に長けているが社会性に乏しく、戦後処理のまずさが際立っていたのではないかと思われる。但し、知盛の怨霊が長刀を持ち迫ってきたときの子方のセリフ「その時義経少しも騒がず」は江戸時代、子供でも知っていたそうです。これは寺子屋での読み書きの勉強に能の謡本が使われていたからだそうです。

◎「船弁慶」と名付けたからには弁慶がシテ・主役と思われていた方もあるのでは?…。後シテの知盛を祈り退けたのですから、シテと同格のワキと言っても良いでしょう。同じ作者(観世信光)と言われている「安宅」(歌舞伎では勧進帳)では弁慶がシテです。(能では弁慶の強固な意志に恐れて関守富樫がこれは本物の山伏と思い一行を通す?。歌舞伎では富樫が一行の境遇に同情して通す?)。

◎間あい・アイは野村萬斎が務めます。間を御存知でない方もおられますので説明しますと間狂言の略で主として前後二場の能では前場と後場の間の舞台(中入場なかいりば)を狂言方が演じます。もちろん中入場以外でもアイの演技があり、「船弁慶」ではアイの船頭とワキの弁慶との問答が前場にも後場にもあり、後場ではその問答のアイのセリフや所作に合わせてに囃子方が〝波頭なみがしら“という特殊演出を行います。これも「船弁慶」の魅力の1つです。

●小書こがき・前後之替ぜんごのかえ 小書は能・狂言の演出用語で基本的な演技・演出を変更することです。通常番組の曲名の左下に曲名より小さい字で添記します。小書きは流派共通のもの、独自のものを入れて約600以上と言われており、曲の一部から曲の大部に変更するものまで多種多様であり、現行曲の約8割に小書きがあります。「船弁慶」の前後之替は前場も後場も演出が変更されています。前シテの『中の舞』が『序の舞』に替わる。後シテは装束の狩衣から衣紋又は裳着胴に替わる。後シテの登場も地謡の「波に浮かみて見えたるぞや」で半幕(幕を半分揚げて後シテの姿を見せる)にし、地謡の「声をしるべに いでぶねの」で幕を閉降ろし、笛のカカリ(笛が鳴り出す)が始まると幕が全部上がり後シテが一気に常座まで走り出て止まり、地謡の返し「声をしるべに いでぶねの」に続く。その後舞働きまいばたらき(怨霊等が豪快に豪快に立ち舞う)を省く。その後子方の「その時義経少しも騒がず」以降は謡も所作も緩急が激しくなる。


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